オルタナライフ by Haru In Nippon

Alternative life 略して「オルタナライフ」もう一つの人生の生き方

「ビーガンは趣味」でいいのだろうか ー ハフポストを読んで僕が思ったこと

こんにちは。

 

先日僕が日頃読んでいるハフポストの昔の記事で

ビーガンについて書かれている記事を読みました。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 

日本語でビーガニズムは「完全菜食主義」と訳されることがあります。

 

上のハフポストの記事ではビーガニズムは

 

「主義」ではなく「趣味」

 

であるべきではないかと問うています。

 

果たして本当にそうでしょうか。

 

僕なりに考えてみました。

 

 

まず初めに「主義」と「趣味」の意味を広辞苑で調べてみました。

 

「主義」

①思想・学説などにおける明確な一つの立場。イズム。「自然―」「マルクス―」

②特定の制度・体制または態度。「資本―」「民主―」

③常々もっている意見・主張。「事なかれ―」「肉は食わない―だ」

 

ビーガニズムはここでいう①と③にあてはまるのではないでしょうか。

 

次に「趣味」も見てみましょう・

①感興をさそう状態。おもむき。あじわい。

②ものごとのあじわいを感じとる力。美的な感覚のもち方。このみ。「―がよい」

③専門としてでなく、楽しみとしてする事柄。「―にピアノを弾く」

④〔哲〕カントの用語。対象を美しいと判定する美的判断力の一つ

 

ん~、これは難しいですがビーガニズムは②に当てはまるでしょうか。

 

 

僕がこのハフポストの記事で気になったのが、

ビーガニズムがただの動物性食品を食べるかどうかの

食習慣としか見られていないことです。

 

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ベルリンのスターバックスの看板にのってるVeganランチ


もちろんビーガンとは動物性食品を食べない人の事を指しますが、

それだけではありません

 

ビーガン

動物を搾取して作られた製品(食品、衣服など)をできるだけ使用しない生活を送っている人であり、他者(人、動物、地球)に負担(迷惑)のかからない方法を、日々のあらゆる行動、生活、人生の中で選択している人だと僕は解釈しています。

 

僕もできるだけ自分の現在置かれている環境で

他者の迷惑にならないよう日々心がけて生活しています。

 

それゆえ、ビーガニズム(完全菜食主義)は

「ただの動物性製品を食べない趣味を持っている人」

という筆者の意見はちょっと違うのではないかと思います。

 

ビーガンは日々のなにげない行動でさえも

①その人の持っている思想や③常々持っている意見と照らし合わせて熟考し実行しています。

これは明らかに「趣味」の範疇ではないのではないでしょうか。

 

「誰か」や「なにか」といった外側のものではなく、「自分」がどう感じるか。個々人の感性に逐一忠実に選ばれたものであれば、肉を食べようが、野菜だけを食べようが、なにも問題はないし、誰にも文句を言われる筋合いはないのだと思う。そしてこれは「食」以外の生活全般にも当てはまることだと思う。法に触れない限り、私たちには自分の感性に従って生きる自由があるのだ。

 

「誰か」や「なにか」といった外側のものではなく、「自分」がどう感じるか。個々人の感性に逐一忠実に選ばれたものであれば、肉を食べようが、野菜だけを食べようが、なにも問題はないし、誰にも文句を言われる筋合いはないのだと思う。そしてこれは「食」以外の生活全般にも当てはまることだと思う。法に触れない限り、私たちには自分の感性に従って生きる自由があるのだ。

 

また筆者は自分の感性がよいと判断したら肉を食べても問題なく、だれにも文句、非難を言われる筋合いがないと述べていますが、本当にそうでしょうか。

それは少し自己中心的すぎではないでしょうか?

 

また、もし肉を食べることが「趣味」で、

その「趣味」のせいで地球の環境や他者に迷惑をかけているとすれば、

それはただの「趣味」と片付けられてもいいのでしょうか?

 

私たちが肉を食べることは、

私たちの体だけではなく他者(この地球で一緒に暮らしている動物や私たちを取り巻く自然)に悪影響を与えます。

 

スーパーで肉を買う時に目に入ってくるのはパッキングされた肉だけですが、一度でもいいからその肉がどこからきて、どのように作られたかを考えてみたことはあるでしょうか。

 

牛肉の場合、

日本あるいは世界のどこかで牛を育てる土地が必要になります。

またその牛はエサを食べないと成長できません。

果たしてこのエサはどこから来て、どのように作られているでしょうか。

多くの場合、大豆などが牛のエサとして使われているそうです。

世界中で生産されている大豆にはアマゾンの森を焼き払ってできた土地で作られているものもあります。

 

ということは肉を食べるという行為は

アマゾンの森を焼き払う行為

にまでさかのぼることができるのです。

 

そして私たちは肉を「買う」という行為を通じて生産者に肉を作ってくれとメッセージを送っているのです。もちろんそのメッセージを受け取った生産者は今までと同じ生産工程(ここではアマゾンの森を伐採または焼き払って農地を作り、牛のエサになる大豆を作るか、その土地で牛を育てる)を繰り返すでしょう。そして徐々にアマゾンの森は縮小していきます。

 

ただ肉を食べる食べないだけでなく、目の前の肉がどのように生産され、今手元にあるのかを考えると、もう肉を食べるという行為をただの「趣味」として片づけてしまってはいけないと思うのは僕だけでしょうか。

 

地球温暖化や砂漠化が世界中で起こっていることは多くの人がテレビなどで聞いたことがあると思いますが、牛を育てるために森林を伐採することは地球温暖化や砂漠化を悪化させています。

 

それでもまだ肉を食べる「趣味」は筆者の言う

「個人的な感性の上で楽しむもの」

でいいのでしょうか。

 

 

また自分が今からしようとする行為は本当に自分の感性に忠実に選ばれれば、法を犯さない限り行ってもいいのでしょうか。

また他社からの非難を受けないのでしょうか?

 

 

皆さんは次のような人に出会ったらどう思いますか。

 

「私の「趣味」は煙草を吸うことです。」

 

現在日本では、煙草を吸うことが法律上許されており、

居酒屋やレストランなどでも煙草を吸えるところがあります。

つまり煙草を吸うことは法律を犯していない「趣味」と言えます。

しかし、たとえ吸っている本人が自分の感性に照らし合わせて良いと判断しても

吸わない人からすればその人の行為は迷惑になっているでしょう。

 

また普段吸っている人も自分の子供や妊娠中の女性が周りにいると、

「趣味」を楽しんでいる人をいいようには思わないのではないでしょうか。

これでは穏やかに「共存」などできないのではないでしょうか。

 

ビーガニズムを「趣味」で行うのは僕はいいことだと思います。

しかし「趣味」が動物の肉を食べることである場合、その行為によって悪影響を受けている人、動物、環境があることを忘れてはいけないと思います。そして、肉を食べる=動物を搾取することが及ぼす影響を知ることは肉を食べている者の最低限の義務ではないでしょうか。

 

そして多くの人に、

肉を食べることによってもたらされる他者への影響を伝えたい」

と活動している人が僕のようなビーガンやビーガンアクティビストです。私たちの活動が非難のように聞こえたり、攻撃しているように感じる人はすくなからずいると思います。海外ではビーガン活動家がレストランを占領するなどして、他人に迷惑をかけている例もいます。僕はそれをいいように思いませんし、ほかにもやり方はあると思います。ビーガンは他人に押し付けられてなるものではありません。

 

自分の「感性」に忠実に照らし合わせて「ビーガンになりたい」と思う人だけが菜食主義の道を歩んでいきます。ただかっこいいから、流行っているから、痩せたいからという「軽い」動機でビーガンになる人は自分の行為が及ぼす周りへの影響などを考えず、自分の事しか考えてないのではないでしょうか。ですから、ちょっと自分に不都合なことが起こると、

「ビーガンになったけど、自分には合わなかった。」

と言ってビーガンになることがもたらす、動物や環境への好影響に気づかず

ビーガンの生活をやめてしまいます。

 

僕はビーガンには「肉を食べる行為」や「動物を搾取する行為」の及ぼす影響を多くの人に知ってもらうための活動をする使命があると考えています。そうでなければ、だれが私たち、または地球のために生きることができるのでしょうか。

 

かなり長くなってしまいましたが、

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

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よろしくお願いします。

 

ではまた次の記事で。

 

ハルキ